院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


春咲く花

 

 庭先に躑躅が咲いている。え?何が咲いているかって? 躑躅である。躑躅が咲いているのだ。心配ご無用、私も読めない。つつじとワープロで打ったら、躑躅と出てきたのだ。転んで足を捻ってしまったような漢字である。つつじがかわいそうだ。同じつつじ科でも馬酔木(あせび、あしび)はなかなかステキな名だ。「我が家の庭先に馬酔木の花がひっそりと咲き、、、。」殺風景な拙宅も風雅な庵のようだ。よし、今年は馬酔木の鉢植でも買うか。話がそれた。私の家のつつじであるが、満開になっても少し寂しい。つつじの花は造形がやや大雑把で、ひとつひとつを愛でるには美の密度が少し足りない。どうしても数に頼っての鑑賞となる。そこで毎年、車を三時間とばして東村のつつじ祭りに出かける。山ひとつがつつじの花で彩られ圧巻である。四季折々の移ろいは、ふと気付くような受動的で繊細(ナイーブ)な情緒が理想だが、ここ沖縄ではそんな悠長なことは言ってられない。風流人も攻めの姿勢が必要である。

盛りなる花曼陀羅の躑躅かな(高浜虚子)

 三月は別れの季節です。春の花、蒲公英(しつこいですね、たんぽぽと読みます)の花言葉は「別れ」だそうです。綿毛が風に吹かれて飛散するところから来ているとのことです。童心にかえってたんぽぽの綿毛を吹いてみて下さい。ちょとやそっとじゃ飛びません。ため息では飛ばないのです。明日への息吹とばかり思いっきり吹くと、白い小さな夢たちが青空に向かって飛んでいきます。「別れ」はすなわち「門出」でもあります。たんぽぽが少し好きになりました。



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